藤原理事長による令和8年10月時事解説・時局分析の収録コンテンツ(音声・動画・AI要約)をお届けいたします。
\参考/
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\AIによる要約です/
2026年10月末の収録版です。中心にあるのは「旧い体制が倒れても、自動的に豊かにはならない」という一点でした。自分の生活と仕事は自分で立て直すしかない——そこから、早く動くことの意味、外国人労働と仕事の再設計、データと政府の関係まで話が及びました。6つの層に向けてそれぞれ異なる角度から要約しています。どこからお読みいただいても構いません。
自分で作ったものが、自分で作ったものを壊している
いま、世界中で大きなデータが外に漏れる事件が起きています。これを誰がやったのか——自分たちでやったのだ、とお話しされました。
AIをいちばん熱心に作っているのは、進んだ国々です。その国々が自分で作ったAIが、その国々の仕組みを壊している。だから誰も恨むことができません。
これは悪いことばかりではなく、時代が前に進むということなのだ、と。こわれたら、自分たちで新しいものを作る。それしか道はないのです。
倒れても、自動的によくはならない
悪いものが倒れたら、それだけで自分たちが豊かになる——そう思ってはいけない、とお話しされました。
悪いものが倒れれば、ひとまず世の中は落ち着きます。けれども自分の暮らしと仕事は、自分で立て直さなければいけない。だから甘く考えてはいけないのです。
自分で片付ける
外国のカフェテリアでは、食べ終わったあとの食器を、片付ける係の人が集めてくれます。たいていは、お給料の低い外国から来た人たちです。
日本にはそれがありません。自分で片付けます。 これが日本のやり方なのだ、とお話しされました。
ところが最近、「これは日本人のやる仕事ではない」と言って、きつい仕事を外国から来た人に任せる考え方が広がってしまった。こんなことをしていたら国が潰れる、と。
不便から、はじまる
では、どうするのか。やりたくない仕事なら、その仕事をやめてしまえばいい、とお話しされました。
野菜を作るのがきついなら、作らなければいい。でも野菜がないと困ります。困るなら、自分で作ればいい。 そして、作る仕事がきつくないように、やり方を変えればいい。
不便を必ず受けることによって、初めて未来が開けるんだと。
大したことない、と言ってしまう
最後に、ちょっと面白いお話がありました。
いま、新しい信仰が二つ流行っているそうです。ひとつは「大したことない教」。どんなに大変なことが起きても「大したことない」と言ってしまう。もうひとつは「偶然教」。変なことが起きても「たまたまだ」と思ってしまう。
これも信仰には違いないのだから、それで救われるならいいでしょう——そう笑いながら話されました。
時代は、元に戻らない
今回いちばん強く語られたのがこの一点です。
一つ言えることは、もう時代は元に戻らない。完全にラッチがかかったというか、後退を止める歯止めがかかった。
ラッチというのは、戻らないように止める仕掛けのことです。そしてそれ以上に大きいのは、旧い体制を動かせる人や組織や国が、もういなくなったということだ、と。だから前に向かって泳ぐしかない、と述べます。
倒れても、自動的に豊かにはならない
ここが今回の核心です。
これは革命だから、悪いものが倒れれば自動的に自分たちが豊かになる、とは決して思わないこと。倒れればひとまず最低限の秩序は戻るけれど、自分の身の回りの生活と仕事は自分で立て直さなければいけない。甘く考えたら絶対にダメだ、と。
ひとつの体制が終わると、それにぶら下がっていた人たちはとりあえず食べられなくなる、とも。
全部同じ構造なのだ、と。だから自分で泳げ、ということになります。
いちばん最後にならないこと
平成の金融危機の教訓として語られたのが、これです。
早く終わりを悟って、早く行動し始めた人が絶対に正解だった。 逆に「銀行は潰れません」「政府はいつも強い」という話を最後まで信じていた人が、本当にひどい目に遭った、と。
山一証券が自主廃業を発表したとき、渋谷支店の前に朝から行列ができていたそうです。それを見て思ったのが、完璧な出遅れ組だということでした。なぜこの日まで何もしなかったのか、と。
決して一番最後にならないこと、なるべく早く悟って自分自身を変えること、それが一番うまくいきますから。 まだ避難民が殺到するまでなら、自由に逃げられるし、自由に次を探せるんですよ。
データは、自分が持つ
AIが進化しているので、大きなシステムはもう守りきれない、と述べます。巨大なデータベースは、増築と継ぎはぎの連続で穴だらけになっているから、破られるのは時間の問題だ、と。
だからこれからは、巨大なデータベースを解体して、データを一人ひとりのスマホに入れる。そして国がサービスを提供するときは、国の方が「お願いして」データを読ませてもらう。
つまり国民と政府が対等な関係になる、ということです。
ただし、対等には両面がある、とも。
いい意味で対等っていうことは、皆さん自由だけど、悪い意味で対等っていうことは自立しないと生きていけないということだから、依存して生きていくことができないわけですよ。
2対6対2
人の集まりはだいたい2対6対2に分かれる、と。
上の2割がしっかりしていれば物事は動く。真ん中の6割は悪意はなく、ただよくわからないだけでオロオロする。この6割のオロオロを上手に収めながら次の未来を作っていく、という形になる、と述べます。
ただし、上のほんの数パーセントが動けば全部動く——というほど甘い国ではない。まず2割くらいが動かないとダメだ、とも。
歯止めがかかった、ということ
今回の出発点は、世界の情勢がもう後戻りしない段階に入った、という認識でした。
イスラエルの総選挙では、ネタニヤフ首相を支持する側が過半数の61議席に全く届かず、アラブ系の票と当選者が大きく伸びました。野党とアラブ勢力の議席を合わせれば優に過半数を超える。しかも世論調査では、野党支持者の過半数がアラブ勢力との連携を考えている、と。再選挙を求める声も大きくなっていない。
もしここで連立政権ができれば、「イスラエル対イスラム」という中東和平の構図そのものが、和合という形に変わる。トランプ大統領が進めてきたアブラハム合意——ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という三宗教の共通の祖の名を冠した合意——がいよいよ実現に向かう、という見立てです。
そして藤原直哉はこう述べます。
一つ言えることは、もう時代は元に戻らない。完全にラッチがかかった。でもそれ以上に、もう後退して担える連中がいなくなりましたね。人も組織も国もね。これが一番大きなとこだな。
革命の本質 ― 自動的には豊かにならない
ここが今回の中心にある論点です。
革命は、悪いものを倒すところまでしかやってくれない。倒れれば最低限の秩序は戻るが、自分の生活と仕事は自分で再建しなければならない。人間が持っている力を最大限に発揮して、自分自身も周囲とのつながりも作り直さなければいけない。甘く考えたら絶対にダメだ、と。
そして重要なのは、旧体制が終われば、それにぶら下がっていた人がまず食えなくなるという構造です。江戸時代が終わったときの武士階級、戦争が終わったときの軍と軍需産業、バブル崩壊後の不動産業界、金融危機後の銀行・証券。すべて同じ形だ、と。
したがって、倒れたことを歓迎する人も、壊されたと感じる人も、どちらも等しく「自分で泳ぐ」局面に入る、という整理になります。
平成の教訓 ― 出遅れないこと
この論点を裏づけるのが、平成の金融危機の記憶です。
最後の最後まで「銀行は潰れません」「政府が見放すはずがない」という神話を信じていた人が、本当にひどい目に遭った。どうしようもなくなってハローワークに行ったら、人で溢れていた、と。
山一証券が自主廃業したとき、当時事務所のあった渋谷で、山一の支店に朝から長い行列ができているのを見た、と述べます。完璧な出遅れ組だと思った、と。なぜこの日まで何もしなかったのか、と。
避難民が殺到するまでならね、自由にね、逃げられるし、自由に次探せるんですよ。避難民が殺到してからはね、それは本当大変ですからね。
オシント ― 誰でもわかる時代
情報のとらえ方について、はっきりした指摘がありました。
「日本人は何も知らないだろう」と思うのは全くの間違いだ、と。情報はいくらでも出回っている。そしてオープンソースのインテリジェンス(オシント)が一番確かだ、と述べます。
理由が面白い。こういう時期には嘘が大量に世の中に出回る。けれども嘘同士が互いに打ち消し合って、最後にオープンソースのものが残る。だからそれが、大局を見誤らないためのポイントになるのだ、と。
オシントでうまくいく時代になったらね、別に誰でもわかるわけね。ちっと頭ひねればわかるんだからさ。
日本は、政府を時々取り替える国
歴史の読み方としてもっとも独特なのがここです。
飛鳥、奈良、平安、鎌倉、建武の新政、室町、戦国、安土桃山、江戸——日本は政府を時々取り替えてきた、と。
政府があるから日本ができたんじゃない、日本はね。日本国民にとって居心地が悪いと政府は時々取り替えるんですよ。
しかも多くの場合、革命で倒すのではない。現在の政府が宙ぶらりんになって、溶けてなくなってしまう。形ばかりになって、最後に崩壊する。そして新しい人たちが出てきて、国民のお眼鏡にかなった者が政権に入る——そういう構図だ、と。
英雄が現れて国民を束ね、一つの国になった。日本はそういう国ではない。民衆主導で、民衆の言うことを一番身に受ける政府が残るのが日本だ、という読みです。
そのうえで、今の日本は国民の側がちゃんとできている、と述べます。
2対6対2の動き方
その「国民の側」を、2対6対2で説明します。
上の2割がしっかりしていればよく、その2割も最初の3パーセントがしっかりしていればだいたい大丈夫。ただしこの国は、上の3パーセントが動けば全部動くというほど甘くない。 まず2割くらいが動かないとダメだ、と。
真ん中の6割は悪意はない。よくわからないだけで、オロオロする。悪意があるのは下の2割のほうだ、と。そして上の2割が動き、市民の声を身に受けて何かをやろうという人が出てくると、6割がそちらについてくる。
この6割のオロオロをどう収束させながら次の未来を作るかが要点になる、という整理です。なお、こういう時期には上の3パーセントが国外に出てしまうこともある、とも述べていました。
対等であることの、二つの面
データと政府の関係から導かれる結論がここです。
巨大なデータベースは守りきれないので解体される。データは一人ひとりのスマホに入り、ブロックチェーンで管理される。国はサービスを提供するときに「お願いして」データを読ませてもらう——つまり国民と政府が対等になる。
これはアメリカの建国の形だ、と述べます。国民がまず憲法を作り、憲法に基づいて政府を作らせ、政府に仕事を任せた。巨大データベースを国民国家が持てなくなれば、この形しか残らない、と。
そして対等であることの両面が指摘されます。
いい意味で対等っていうことは、皆さん自由だけど、悪い意味で対等っていうことは自立しないと生きていけないということだから、依存して生きていくことができないわけですよ。これは大変ですよ。
自分で作ったものが、自分で作ったものを壊している
文明論としての結論です。
AIの開発が盛んなのは先進国です。国民国家の見本を作って世界に運営してみせてきた先進国が、自ら作ったのがAI。そのAIが国民国家を壊している。
誰も恨めないですよ。自分たちで作ったものが自分たちで作ったものを壊してるんだから。時代は前に進むってことなんですよ。
自滅させて、自分で新しいものを作る以外に逃げ道がない。そこまで来れば、かえって肩の荷が下りる。上にのしかかっているものがなくなるのだから、あとは自力で行くだけ——腹の据え方のところだ、と結ばれました。
三層に分けて読む
今回も、観測・制度予測・説明枠組みの三層に分けると整理しやすくなります。
観測は、イスラエル総選挙の議席構成とアラブ系票の伸長、北欧首脳からロシアへの直接の接触、ウクライナ南部での停戦開始、原油先物のピークが更新ごとに切り下がっていること、銅と鉄の価格の頭打ち、米国における退去者数とビザ取消件数、合法移民の受け入れが北米域内に限定されつつあること。制度予測は、巨大データベースの解体と自己主権型データ管理、政府機能のサービス・ポータル化、通貨発行量への上限設定、金融危機下での国有化。説明枠組みは、ラッチ(不可逆性)、革命後の自助、資源価格の長期サイクル、そして自己生成的な破壊です。
国民国家とデータベースの同一性
もっとも構造的な論点がここです。主張は、国民国家とは国がデータを保有することによって機能する統治形態である、というものです。戸籍、住民票、課税台帳、社会保険——紙の時代から一貫して大量のデータを保有してきた。
したがって、データ集中が維持不可能になれば、国民国家という形態そのものが維持不可能になる。これは比喩ではなく、保有データが統治能力の実体であるという同一視に基づく議論です。
脆弱性の根拠として挙げられたのは二点。第一に、巨大データベースは増築と継ぎはぎの累積であり、構造的に穴が多い。第二に、内部に不満を持って離職する者が常に存在する。前者は技術的要因、後者は組織的要因で、どちらも規模に比例して増大します。
アメリカ建国型への回帰という含意
代替形態として提示されたのが、合衆国建国の構成です。国民が先に憲法を制定し、憲法に基づいて政府を設立し、政府に職務を委任する。つまり正統性の順序が国民から政府へ向かう構成です。
これに対し、国が国民のデータを一元的に保有する統治は、順序が逆になります。データ集中が崩れれば前者の形しか残らない、という論理です。
具体的な像としては、省庁別の組織表示ではなく機能別のポータル。検索エンジンや生成AIのインターフェースと同じく「何かあったらここに書いてください」という単一の窓口が政府である、と。評価軸が代表の構成から提供されるサービスの内容へ移る、という前回の講演と同じ論点がここでも繰り返されています。
そのうえで、対等性の両義性が明示されました。自由の獲得と、依存可能性の喪失は同じことの両面である、と。これは規範的な主張ではなく、条件の記述として読むべき部分でしょう。
資源価格の長期サイクル
経済分析としてもっとも検証しやすいのがここです。
原油について、1980年代初頭からおよそ20年の低位期、その後およそ20年の高位期という40年の循環を示し、次の20年は再び低位期になる可能性を提示します。根拠として、WTI先物のピークが2008年の140ドル台を最大として、以降は反騰のたびに切り下がっていること。
さらに需要側の要因として、AIバブルの終息、製造業における投機的開発の縮小、そして世界人口が今後50年程度でピークを打つという見通しが置かれました。
銅と鉄についても価格の頭打ちが観測されており、資源・エネルギー価格の上昇が止まる、あるいは下落に転じるのは深い景気後退の徴候である、という読みが示されます。
精製施設への攻撃については、戦争行為としてではなく供給設備の廃棄による価格下支えという解釈が提示されました。これは観測された事実からの推論であり、検証されたものではありません。
含意として、産油国の財政と、制裁下で中継機能によって利益を得てきた中央アジア・コーカサス・中東の一部に逆風が及ぶ、という指摘があります。
地主論 ― ヨーロッパの安定条件
分析枠組みとして独特なのがこの議論です。ヨーロッパに歴史的な町並みが残っているのは地主がしっかりしているからであり、貴族とは基本的に地主である、と。そして地主が文化と伝統を守り、かつ資産を保持しているときにヨーロッパは安定する、という命題が提示されます。
そのうえで、1990年代以降に世代交代が進み、長年禁欲的に資産を守ってきた家でも相場に傾斜し、資産を失った例が多いと述べます。文化の継承能力を、担い手の資産保全能力に結びつける議論で、制度の安定を資本の性格から説明する構成として読めます。
AIバブルとドットコムバブルの相似
もっとも建設的な読みがここです。2000年のドットコムバブル崩壊では多数のインターネット企業が消滅しました。ところがその後に本格的なインターネット企業が登場し、技術そのものはむしろ加速した。
同じことがAIでも起きる、と。投機的な事業者が淘汰され、まともな事業者が残り、AIはさらに進化する。そしてAIの進化は必然的にブロックチェーンを要求する——集中型データベースが守れない以上、完全分散型のデータ構造が必要になるからです。
バブル崩壊を技術の後退ではなく、担い手の選別過程として位置づける議論です。
自己生成的破壊という構図
結論部の構図です。AI開発の中心は先進国であり、先進国こそが国民国家という統治形態を世界に示してきた主体です。その主体が自ら生み出した技術が、自らの統治形態を解体している。
誰も恨めないですよ。自分たちで作ったものが自分たちで作ったものを壊してるんだから。
外部の敵による破壊ではなく、システムが自らの成功要因によって自らを無効化するという構図です。前回の基調講演で「自己破壊の遺伝子がオンになった」と表現された論点が、ここで技術的な因果として具体化されています。
前提 ― 旧体制の終わりは、そのまま失業の構造になる
実務上まず押さえるべきはここです。
ひとつの体制が終わると、それにぶら下がっていた仕事がまず消えます。江戸時代の終わりの武士階級、終戦時の軍需産業、バブル崩壊後の不動産業界、金融危機後の銀行・証券・投資。すべて同じ構造だ、と。
そして革命は、倒すところまでしかやってくれません。最低限の秩序は戻るが、自分の生活と仕事の再建は自分でやる。甘く考えたら絶対にダメだ、と述べます。
つまり、変化を歓迎する側にいても、巻き込まれる側にいても、実務上やることは同じです。自分で泳ぐ準備をする。
いちばん最後にならないこと
平成の金融危機からの教訓として、繰り返し強調されたのがこれです。
もうとにかく早く終わりを悟って早く行動し始めた人が絶対正解だった。
「絶対潰れるはずがない」「政府が見放すはずがない」という前提を最後まで持っていた人が、最も深刻な影響を受けた。山一証券の自主廃業のとき、支店の前に朝から並んでいた人たちは「完璧な出遅れ組」だった、と。
まだ避難民が殺到するまでならね、自由にね、逃げられるし、自由に次探せるんですよ。
実務に置き換えれば、撤退や転換の判断を、選択肢がある時期に済ませておくということになります。
実務上の論点
外国人労働 ― 仕事そのものを設計し直す
今回もっとも実務に食い込む議論がここです。
外国人労働の問題とは、自国の人がやりたがらない仕事を外国人にやらせたということだ、と。失業が増えながら外国人が増えたのは、全部その構造だ、と述べます。
そして話には順番がある、と。日本人をいくら募集しても来なかったから外国人を入れた。 けれども——
日本人募集しても来ないってことは、その仕事はやめるべき仕事なんですよ。あっちゃいけない仕事なんだね。内容を変えなきゃいけない仕事なんだ。 それを国民が来ないって言うんで、仕事はそのままにして外国人を入れちゃった。
つまり、募集しても人が来ないことは、労働力不足のシグナルではなく、その仕事の設計が破綻しているというシグナルだ、という読みです。
対処も具体的に示されました。やりたくないならその事業をやめる。野菜を作るのがきついなら作らない。介護事業所を続けられないなら閉める。そして困るなら自分でやる。現場を、過酷でないように変える。
その介護事業所で働きたくないんであればね、介護事業所はないんだから。じゃあその分どう考えるかって、それがさ、知恵と行動力なんですよ。そうやって未来は開かれていくわけね。
カフェテリアの例が印象的です。海外では食後の片付けをする人がいる。日本にはいない。自分で片付ける。それが日本のやり方だったのに、近年「これは日本人のやる仕事ではない」という風潮が広がった、と。
結論は一行です。外国人に帰ってもらうということは、自分でやるということ。自分でやりたくなければ、その仕事はなくなるということ。不便を受け入れることによって、初めて未来が開ける。
お金の総量に上限がつくと、何が変わるか
金融はブロックチェーンに乗せ換え、お金の総量に上限を設ける方向だ、と述べます。今はいくらでも刷れる形ですが、刷れなくなる。
そうなると何が起きるか。実力と実物がとても大事になる、と。お金が無限に発行できる状況では、実力のない人が資金と権力を握ることができてしまう。発行量に上限がかかれば、本当に実力のある人しか残れない——「世の中まともなんだね」という言い方がされました。
AIバブルの後に起きること
事業機会として読める部分です。
AIバブルが弾けても、AIそのものはもっと進化する、と。2000年のドットコムバブル崩壊で多くのネット企業が消えましたが、その後に本格的なインターネット企業が次々と登場し、技術はむしろ加速しました。
全く同じなんですよ。AIバブルが潰れると、いい加減なAIで金儲けしようっていう変な連中や変な会社がどんどん潰れちゃって、まともな会社だけが残って、AIはもっと進化するんですね。
そして、AIが進むなら必然的にブロックチェーンが必要になる。集中型のデータベースが守れない以上、完全分散型に移るほかないからです。
結局は、自立して横に組む
自立して横に組まないとどうにもなりませんぞと。今までの組織にいて手遅れになるとわかったら、早く自分でなんかしなさいよと。 知っていって、見て、会って、自分の可能性を広げていかないとどうにもなりませんよって、もう二十年以上前から言ってますよね。
潰れた会社に何とかしろと言ってもどうにもならない。潰れた政府に言ってもどうにもならない。早く悟って実力を身につけ、一人では無理だから仲間も作る——それが一番建設的な答えだ、と結ばれました。
あのときの行列
今回いちばん実感を伴うのは、平成の金融危機の記憶でしょう。
山一証券が突然の自主廃業を発表したとき、当時事務所のあった渋谷の支店前に、朝から長い行列ができていたそうです。東横線や田園都市線沿線の資産家のお金が入っていた支店でした。
それを見て思ったのが、完璧な出遅れ組だということでした。なぜこの日まで何もしなかったのか、と。
最後の最後まで、そんなね、銀行は潰れませんとか、政府はね、いつも強いとか、そういうことを言ってた人たちがね、一番最後まであって、完全に放り出されたんですね。
どうしようもなくなってハローワークに行ったら、人で溢れていた。そういう状況でした、と。
決して一番最後にならないこと、なるべく早く悟って自分自身を変えること、それが一番うまくいきますから。まだ避難民が殺到するまでならね、自由に逃げられるし、自由に次探せるんですよ。
死んだふり作戦
平成の日本について、こう振り返られます。
1997年ごろ、政治も役所も大企業も、外からの圧力に押し切られていった。そのとき戦えばまた大きな犠牲が出かねない。だから「死んだふり戦略」でいこうと考えた、と。
市場原理でやっているのだから必ず自滅する。必ず高転びする。そのときまでに自分たちは仲間を整えておこう——それが当時考えた戦略だった、と。
上手にこうスルッと負けたふりして、死んだふりして後ろに抜けたのが正解だったな。
戦前、日本は「極めて危険な民族」「野蛮で凶暴な民族」と随分言われました。戦後は「エコノミックアニマル」と。産業スパイ事件もありました。けれども平成に日本がおとなしくしていたので、今はそう言われていない。あれは結果的に正解だった、と。
そして「負ける喧嘩はするな」という一点が、繰り返されます。太平洋戦争では300万人が亡くなった。その罪は極めて重い、と。
倒れても、自動的によくはならない
今回の中心にある一点です。
革命は、悪いものを倒すところまでしかやってくれません。倒れればひとまず秩序は戻るけれど、自分の身の回りの生活と仕事は、自分で立て直さなければいけない。甘く考えたら絶対にダメだ、と。
そして、ひとつの体制が終われば、それにぶら下がっていた人がまず食べられなくなる。江戸時代が終わったときの武士階級がそうでした。生産をせずに禄をもらっていたのが、来なくなった。戦争が終われば軍と軍需産業がなくなった。バブルが崩壊すれば不動産業界が、金融が崩れれば銀行や証券が。
全部同じ構造だ、と。
日本は、政府を時々取り替える国
歴史の読み方として、今回いちばん腑に落ちるところかもしれません。
飛鳥、奈良、平安、鎌倉、建武の新政、室町、戦国、安土桃山、江戸——日本は政府を時々取り替えてきた、と。
政府があるから日本ができたんじゃない、日本はね。日本国民にとって居心地が悪いと政府は時々取り替えるんですよ。
しかも多くの場合、革命で倒すのではありません。今の政府が宙ぶらりんになって、だんだん溶けてなくなってしまう。形ばかりになって、最後に崩壊する。そして新しい人たちが出てきて、国民のお眼鏡にかなった者が政権に入る。
英雄が現れて国民を束ねて一つの国になった——日本はそういう国ではない、と。民衆主導で、民衆の言うことを一番身に受ける政府が残るのが日本だ、という読みです。
そのうえで、国民の側はもうちゃんとできている、と述べます。百パーセントではないけれど、上の2割がしっかりしていればいい。真ん中の6割は悪意はなく、ただよくわからないだけでオロオロする。その6割を上手に収めながら、次を作っていけばいい、と。
自分で片付ける、ということ
外国のカフェテリアでは、食べ終わった食器を片付ける人がいます。たいていは給料の低い、外から来た人たちです。
日本はああいうのいないんでね。片付け専門の人っていないでしょ。だから自分で片付けるんですね。これが日本のやり方なんだな。
ところが近年、「これは日本人のやる仕事ではない、外国人にやらせておけ」という風潮が広がった。こんなことをやっていたら国が潰れる、と。
農業の過酷な仕事、解体、徹夜の仕事、コンビニの夜勤。やりたくないなら、やめればいい、と。野菜を作るのがきついなら作らない。でも困るなら自分で作る。そして現場を、過酷でないように変える。介護も同じで、続けられないなら閉める。そのぶんをどう考えるか——それが知恵と行動力であり、そうやって未来が開かれていく、と。
不便を必ず受けることによって、初めて未来が広がる、開けるんだと。
誰も恨むところがない
今回の結論です。
いま世界中で大きなシステムが壊れていますが、誰がやったのか。自分たちでやったのだ、と。AIを最も熱心に開発しているのは先進国であり、国民国家という形を世界に示してきたのも先進国です。その先進国が自ら作ったAIが、自らの仕組みを壊している。
誰も恨めないですよ。自分たちで作ったものが自分たちで作ったものを壊してるんだから。 時代は前に進むってことなんですよ。
自滅させて、自分で新しいものを作るしかない。けれどもそこまで来れば、かえって肩の荷は下りる、と。上からのしかかっていたものがなくなるのだから、あとは自力で行くだけ。腹の据え方のところだ、と。
大したことない教と、偶然教
最後に、笑いを誘う話で締められました。
誰にも守ってもらえないとなれば、それは他力本願であり、信仰だ、と。そして世の中には「大したことない」という神様がいる。どんなストレスがあっても「大したことない」と言ってしまう——これも信仰で、「大したことない教」。
何か変なことが起きても「所詮ランダムである、偶然である」と思ってしまう——「偶然教」。
戦後はね、いろんな新宗教出てきましたけど、最近はね、大したことない教とね、偶然教、これがね、随分ね、信者増やしてますね。まあ信仰であることは変わりませんからね。まあ救ってもらったらいいと思いますよ。
面白おかしく世の中を見ているわけにもいかないほど厳しくなってきたけれど、ぜひ皆さんも頑張ってやっていただければ——そう結ばれました。
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