新生日本の国家ビジョン「グレートコラボレーション = 偉大なる共生社会の建設」

第5章改革・国創りはどうやって進めればよいのか

1. 昭和31年の経済白書

さて、ではこのような特徴を持つ「グレイト・コラボレーション=偉大なる共生」社会へ今の日本が本格的に移行するには何が必要なのでしょうか。基本的にロハスな生き方は静かに幅広い層の日本人に広がりつつあります。ですから時代は何もしなくても自然とロハスな方向へと進んでいくでしょう。しかし、時代は時として、「勢い」を求めます。わたしは今の日本を見ていると、ちょうど昭和30年頃の雰囲気に似ているような気がするのです。昭和30年というのは翌年の経済白書にもはや戦後ではないと書かれた年で、昭和31年の経済白書を若干長くなりますが、以下に引用してみたいと思います。 「もはや「戦後」ではない。我々はいまや異なった事態に当面しようとしている。回復を通じての成長は終わった。今後の成長は近代化によって支えられる。そして近代化の進歩も速やかにしてかつ安定的な経済の成長によって初めて可能となるのである。 新しきものの摂取は常に抵抗を伴う。経済社会の遅れた部面は、一時的には近代化によってかえってその矛盾が激成されるごとくに感ずるかもしれない。しかし長期的には中小企業、労働、農業などの各部面が抱く諸矛盾は経済の発展によってのみ吸収される。近代化が国民経済の進むべき唯一の方向とするならば、その遂行に伴う負担は国民相互にその力に応じて分け合わねばならない。 近代化–トランスフォーメーション–とは、自らを改造する過程である。その手術は苦痛なしにはすまされない。明治の初年我々の先人は、この手術を行って、遅れた農業日本をともかくアジアでは進んだ工業国に改造した。その後の日本経済はこれに匹敵するような大きな構造変革を経験しなかった。そして自らを改造する苦痛を避け、自らの条件に合わせて外界を改造(トランスフォーム)しようという試みは、結局軍事的膨張につながったのである。」

2. キーワードが未来を創る

この昭和31年の経済白書のなかには、「近代化」が国民経済の進むべき唯一の方向 だと書かれていますが、昭和30年代以降の20世紀は、世の中のあらゆるものが「近代化」という名前のもとに変化していった時代だと思います。小さな工場が大きな工場になるのも近代化。石炭に代わって石油が使われるようになるのも近代化。海塩か 精製塩になるのも近代化。トイレが水洗式になるのも近代化..。まさに時代は「近代化」というひとつのキーワードを得て、一気に前に進んだのだと思います。さらに戦後の高度経済成長を推進したエコノミストである下村治氏は、以下のように発言したと紹介されています(『エコノミスト三国志』、水木楊、文春文庫、平成11年、より引用)。「日本経済についてありとあらゆる弱点を言いつのり、いまにも破局が訪れるような予言をする人々を見ていると、アンデルセンの醜いアヒルの子を思い出す。その人々は日本経済をアヒルかアヒルの子と思っているのではないか。実際の日本経済は美しい白鳥となる特徴をいくつも備えている」。 まさに今の日本もそのとおりだと思うのですが、時代の転換点ではとかく長所が目に付かずに短所だけが目に付き、将来に対して悲観的な思いが高まっていくものです。だからこそ、時代は勢いを得て次の新しい時代へと進んでいかなければならないのです。

3. 改革に対する抵抗と戦ってはいけない

さらに時代を動かすキーワードが決まり、改革が始まったとき、必ずそれに対する 反対と抵抗が生まれてきます。平成に入ってからの日本政府の構造改革に対する反対と抵抗は、昭和31年の白書に引用された姿と本当によく似ていると思います。しかし昭和の近代化はその後大成功を収め、古いものが壊れると同時に新しい時代がどんどん栄えていったのに対して、なぜ平成の構造改革はやってもやってもいたずらに破壊ばかりが広がり、国民の多くが絶望的な状況になっていくのでしょうか。いつの時代にもどんな組織にとっても変化は緊張を伴うものであり、変化に対する合意がなかなか得られないのは、ごく当たり前のことです。一般にリーダーシップ理論のなかで、組織を変化させるときにどこが最も肝心なポイントかというと、変化への抵抗が起きたときに、それと決して戦うことなく、相手の立場をよく理解し、共感して、相手が立ち行くように具体的に配慮していくところです。すなわち、改革への抵抗とは決して戦ってはいけないのです。ここで戦うから、改革は前に進まず、怨念だけが残り、決して建設的な改革にはならずに破壊だけが広がるのです。一方、改革を進めるにあたってひとりひとり、みな違う理由を挙げて改革に反対し、抵抗してくるのに対して、真摯に接して相手の立場に配慮していくと、やがて反対している人たちも完全に賛成はできないけれども、何がしかの譲歩や試行錯誤をしてみようという気になります。そうして初めて改革はいよいよ具体的な動きになっていくのです。ですから基本的な考え方として、改革というのはそれを成し遂げた暁には、みながより幸せになれるという明確な確信と、強烈な情熱がどうしても必要です。もしその改革というものに欺瞞が入っていたり、一部の人を切り捨てて強い者だけが生き残ろうとするだけのものであれば、決して改革への反対や抵抗に対して真摯に接することができず、結局改革は挫折して破壊だけが残ります。

4. 成功事例の大切さ

さらに改革を推進する上で、成功事例を創ることは非常に効果的です。過去数年間の国土交通省の観光立国政策では、全国から観光カリスマと言われる人たちを募り、成功事例をたくさん紹介していきました。抽象的な話を聞いているだけでは足が前に進まない人たちも、成功事例に接すると具体的なイメージがわいてきて、行動してみようという気になるものです。今回の「グレイト・コラボレーション=偉大なる共生」社会の建設においては、既にロハスな生活をしている人たちの成功事例が無数にあります。既に多くの日本人はロハスという言葉は知らなくても、その具体的内容や価値観については常識としている人がたくさんいると思います。平成17年の総選挙において、小選挙区で郵政民営化に賛成した候補に入れられた得票数と、反対した候補に入れられた得票数を比較すると、反対した候補に入れられた得票数が賛成した候補に入れられた得票数を上回っていました。これは非常に重要なポイントで、選挙制度の結果として議席数で郵政民営化賛成派が圧勝する形にはなりましたが、郵政民営化に賛成した候補に入れられた、まとまった数の組織票を割り引いて考えると、既に国民のかなり大きな部分は今までの改革を止めて、新しい変化を求めていると考えられます。それはひとつには改革の失敗が破壊を招いて人々を相当苦しめているからだと考えられますが、もうひとつは人々の価値観が既に変化していて、もっと別の発想で政治が動いて欲しいと考えているからではないでしょうか。

5. 国民の叡智を結集することの大切さ

そして改革の本当の力、国創りの本当の力は、いかに人々が知恵と努力を結集する かで決まっていきます。すなわち改革と国創りの本当の力は、国民の力の相乗効果によって決まるのです。だからこそ、改革や国創りというのは理屈を考えたらありえないような猛烈なエネルギーが湧き出してきて、信じられないような短時間で、信じられないような成果を得られることがあるのです。まさに昭和30年代の高度経済成長はその典型です。ごく少数の人が、たとえその人たちは特別優秀だとしても、多くの人々の無関心や反対を押し切って改革や国創りを進めようとしても、大した成果は得られないものです。反対に特別な人がいなくても、みんながその気になって協力して、チームワークとコラボレーションが大きく広がれば、莫大な相乗効果が生まれて、改革や国創りは想像を超えるスピードで進みます。昭和30年代のそうした国民的エネルギーの勃興を象徴するのが、東海道新幹線の開業です。東海道新幹線は昭和32年に構想が打ち出され、着工されたのは昭和34年、そして営業運転開始がそれからたった5年後の昭和39年です。既に明治時代から弾丸列車の計画があり、用地の買収も戦前に一部行われていました。さらに新幹線を支えるさまざまな技術は、以前からその多くがいろいろなところで生まれ、試されていました。ですから東海道新幹線というのは、それまでの日本人がさまざまな場所と立場で手にした技術を、ひとつの思いに結集させて作り上げたものです。だからこそこの歴史的・国家的大事業が、かくも短い時間に出来上がったのです。そのことを、東京駅の東海道新幹線コンコースに 納められた一枚の記念プレートが語っています。「東海道新幹線この鉄道は日本国民の叡智と努力によって完成された」。我々がこれから目指す「グレイト・コラボレーション=偉大なる共生」社会の建設もまさに同じです。日本人の想いを集め、日本人の叡智と努力によって完成させるべきものなのです。既にその基礎技術はすべて、今の日本に揃っているのです。

第6章「グレイト・コラボレーション=偉大なる共生」社会のインフラ整備

1. インフラ整備のポイント

では、いよいよ具体的にこれから10年で国がどんなインフラ整備を行っていくべきかということになりますが、まず第1が「日本列島復元10ヵ年計画」と名づけた国土の徹底的な「大掃除」と「安全対策」。第2が「新ディスカバージャパン・観光立国10ヵ年計画」と名づけた全国一斉の観光立国に向けた地域おこし事業の展開。第3が「土から始まる個人経済復興10カ年計画」と名づけた国民全体への多目的型農業の普及。そして第4がすべてのインフラ整備と民間産業の育成を行うための資金を、広く国民から調達して、未来に残るすばらしい資産として残すためのインベストメント・バンク(投資銀行)の設立です。

2. 日本列島復元10カ年計画

まず、これから「グレイト・コラボレーション=偉大なる共生」社会を進めていく うえで一番ネックになるのが、20世紀の負の遺産として国土が乱開発であまりにも汚れすぎていて、また危険であるということです。ロハスの価値観である健康と持続可能性という価値観に照らしてみたとき、今の日本はまずその国土が健康な生活に向かない部分がたくさんあり、また持続可能な生活を営むことが危険でできない場所がたくさんあります。基本的にこれからの時代は民間の活力が時代を動かしていくわけですが、その前に、古い20世紀型の国家が21世紀の新しい時代に何を残せるかと考えると、それは国土の徹底的な「大掃除」と「安全対策」です。具体的には不要となった構造物の解体撤去、土壌や河川、湖沼、海の徹底的な浄化、広葉樹への植林のやり直し、徹底的な防災対策などであり、それをわたしは「日本列島復元10ヵ年計画」と名づけたいと思います。ちょうど昭和39年に東京オリンピックがあって、30年代の10年間に当時の「近代化」という方針のもと、日本の国土は大きく様変わりをしました。しかしその急激な開発は環境破壊などの大きなひずみを生み、その負の遺産はその後も「近代化」の進展と共に決して消えることなく、現在に残っています。さらに国土の安全対策を考えると近年多発する大規模な自然災害に対して、都市も地方も依然として大きな危険にさらされている場所が多いということに、改めて驚かされます。こうした「大掃除」と「安全対策」には多額の費用と多くの人手が必要になります。中小零細企業がヨコにネットワークを組みながら動いていくだけでは、手に余るものがあります。ですから新しいインフラとして、最初に国が一気に事業を 進めておく必要があるのです。昭和39年に開業した東海道新幹線は東京・大阪間の移動時間を従来の半分に短縮しました。これが日本経済のその後の発展に大きな貢献をしたことは言うまでもありません。経済にはボトルネックという言葉があって、全体のシステムのなかで問題を抱えている特定の場所が全体の成長を阻害している場合に、そこはボトルネックになっていると言います。これから日本で「グレイト・コラボレーション=偉大なる共生」社会を建設していくにあたって、大きなボトルネックになるのが、国土の汚れと危険です。これを「日本列島復元10ヵ年計画」で解消していくことは、非常に重要なことです。

3. 新ディスカバージャパン・観光立国10ヵ年計画

さらに次が本格的な地域おこしです。既に述べているようにこれからの日本の発展は地域が主役になっていきます。ところが地域の多くは既に過疎や不況で疲弊し、自律的に立ち直る力が失われているところが少なくありません。そもそも観光というのは英語では景色を見ると表現され、あたかも名所・旧跡・娯楽施設などの客寄せ物件に、人を呼び込んでお金を落とさせることであるかのように言われますが、実際には全く違います。永遠の観光地といわれるような、常に観光客が訪れて止まない場所というのは、そこに住んでいる人がその土地の衣、食、住を満喫していて、住んでいる人たちから出てくる優雅さ、その優雅さが放つ明るい光、それが観光資源そのものになっているのです。ですから観光というのは必ずしも観光地を見に行くだけではなくて、たとえば企業視察などでも、観光旅行というものが成り立ちます。非常に元気が良くて前向きに仕事に取り組んでいる企業を訪問すると、そこに働いている人から光のような明るさと元気を感じます。視察した具体的な内容は忘れてしまっても、そのときに感じた明るさと元気は、帰ってからの仕事に大きな張り合いを与えるものです。ですから企業視察も観光地は見ませんが光を観るという意味で、立派な観光旅行なのです。というわけで観光立国というのは具体的にはどういうことかというと、初めから観光客がたくさん来るように設備を作るのではなくて、その土地に住む人がその土地の衣、食、住を満喫して住み続けられるように、その土地に最も適した生業、産業を確立させることを指すのです。適地適作、地産地消、天産自給の推進であり、新たな産業、企業誘致であり、地域の人材開発であり、あるいは文字どおり、観光地を美しく整備し、景観を復元し、特に20世紀の近代化の過程で失われた日本の良さを地域単位で復元していくという意味なのです。それを国が10年間ほど資金や人材、ノウハウに関して各地域の要望に沿って全面的に支援していこうということです。こうやって何らかの方法でその地域の衣食住が確立すれば、当然、他の地域から人がそれを見に来るでしょうし、何しろ観光産業というのは雇用の吸収力が非常に大きいですから、地域の雇用拡大にも大きな貢献をします。観光立国というのは、まず地域おこしを行って、それが成功することでその地域の衣食住を満喫する人が生まれ、同時にその地域が特色ある観光地になっていき、日本中にすばらしい観光地がいくつも生ま れていくことを意味しています。江戸時代の人々の暮らしを見てください。大名の参勤交代そのものが旅行ですし、そのうえ、お伊勢参りなど、庶民の旅行が大流行し、全国各地の名所旧跡、名産、名物が観光資源になり、全国的な経済交流が旅行を通じて広がっていきました。ロハスな生活においては、観光旅行はきっと大きく成長する分野だろうと思います。

4. 土から始まる個人経済復興10カ年計画

そして、日本がこれから改めて普及させていかなければならないのが、農業です。 既に農業の世界では二極分化が鮮明に起きていて、高度農業といわれる非常に専門性と付加価値の高い農業は、競争力の強い日本の製造業と同じように、アマチュアの草野球ではなくてプロ野球、しかもメジャーリーグの世界にあると考えられ、この分野は国が国土の汚れを掃除し、危険を除去していけば、あとは民間の力でさらに発展できると思います。ですから高度農業の振興に関して、国が手を出す必要はまったくないと思います。そうではなくて、ここで言う「土から始まる個人経済復興10カ年計画」というのは、まず第一に、教育のところで述べたように、これを知っていれば生活や仕事に困らないという最低限の知識や技能のひとつとして、義務教育のなかで「農」を教えようということです。ロハスな生活のひとつの理想的スタイルは、朝起きて、2時間ほど畑に出て、それから職場に行くというスタイルではないでしょうか。人は「農」を覚えることによって、最低限の食料を自分で作ることができるようになります。最低限のものを自分で作って食べられるということは、人生の安心感を非常に高めるものであり、健康に良いだけでなく、持続的社会の維持発展においても極めて重要な働きをします。第二に人は「農」を覚えることによって、失業しても食べていくことができるようになります。どんなに安定的な社会でも、人はさまざまな都合で職を離れ、次の職に就くまでの間、失業状態になることがあります。現在ではそれを国が保険という形でお金で保障しているのですが、これからの時代はお金をもらうのではなくて、自分で最低限の食べ物を作るということで対処していくべきだと思います。実際にはロハスな生活が広がっていくと、互いに畑で採れたものを交換し合うということは当たり前になるでしょうから、畑作りができれば、失業で絶望することはなくなるでしょう。仕事がなくてお金をもらうことはできないかもしれませんが、畑で作ったもので最低限の生活を支えることはできるのではないでしょうか。

5. 安心して失業できる(!?)ことの強さ

わたしは以前から、安心して失業できる環境が企業の競争力の強化に非常に重要であると思ってきました。というのは先に述べたように人はかなりの試行錯誤を積まないと、その人の潜在能力が開花する仕事に出会うことができません。ということは人は特に若い間はある程度の失業を甘受しても、積極的に試行錯誤を行って、将来見事に花開く自分の仕事を探すべきなのです。ところが失業というものが絶望を意味すると、人はとりあえず手にした仕事を守ろうとし、結局はその人にも企業にも、そして 社会にもあまり大きな貢献ができないままに、疲労感だけが広がっていきます。ですから社会としては、戦略的に安心して失業できる(!?)環境を作ることが、中長期的な強さにつながるのです。よく知られているように、失業保険をお金として長期安定的にもらえる制度を作ると、人によってはそれで安心して怠けてしまって、就職の意欲もなくなってしまうという問題が起きます。だからこそお金で失業を支えるというやり方は避けるべきで、失業しても誇りを失うことなく、むしろ失業を契機として自分に合った仕事により近づけるような仕組みを整えることが望ましいのです。特に失業で大きく人が傷つくのは、朝起きても働きに行く場所がないということであり、だからこそ人は誇りを失わないために、失業しても毎日働きに行く場所が必要なのです。それが最低限、畑であれば、失業しても人にはしっかり仕事があります。それで最低限の生活を支えることができれば、あとは職業訓練や就職活動を安心して進めていくことができ、失業がその人を強くしていくことになります。だからこそ「農」、そしてその象徴である「土」は個人経済の原点であり、失業と無気力が蔓延した今の日本人を仕事の上から救うための、欠くことができない要素なのです。「土から始まる個人経済復興10カ年計画」では、10年間にすべての国民に最低限の「農」を教え、またすべての国民に最低限の畑を持てるように土地、資金、人材、ノウハウなどを国が提供しようということです。

6. 新たなインベストメントバンク設立の必要性

さて、こうして新しい社会の姿が見えてきて、国がどのようにインフラ整備をする かが見えてきたとき、国のインフラ整備のための資金と、民間の産業育成資金をどのように調達するかという問題が出てきます。その基本は、決して20世紀の財政システムや市場経済システム、あるいはロハスの考え方に合わない金融システムは使ってはならないということです。多くの改革や国創りが失敗するひとつの理由は、その資金調達の方法にあります。すなわち実際に活動を担う人と資金を提供する人の意思がずれている場合、改革や国創りは最初から失敗する可能性が非常に高いのです。なぜ20世紀の日本と世界が最終的にかくも乱れてしまったのか。その大きな理由のひとつは20世紀の金融システムを担っていた財政システムと市場経済システムに目を覆うような腐敗が発生し、権力と利権の上にあぐらをかいた人々が、特定の人々だけに利益が行くように、恣意的に資金分配を操作してしまったからです。よく経済学では小さな政府がよいか、大きな政府がよいかと議論になります。また市場経済がよいのか、非市場経済がよいのかということも議論になります。しかし実際には物事の本質はそこにはありません。どんなシステムでも、それを担う人が腐敗をして、そのシステムを利用して自分の利益のみを増大させようとしたら、決して世の中は良くならないのです。したがって「グレイト・コラボレーション=偉大なる共生」社会を創るためには、健康と持続可能性、そしてその上に乗る善悪という価値観を絶対に揺るがせにしない金融システムが、絶対に必要となるのです。残念ながら現在の財政システム も市場経済システムもすっかり腐敗が進行し、到底21世紀の新しい国創りのニーズにこたえることはできません。だからこそ、新しいインベストメントバンクを設立しなければならないのです。

7. インベストメントバンクとは何か

では、なぜその新しい銀行が「インベストメントバンク(投資銀行)」なのでしょうか。インベストメントバンクとはそもそも何なのでしょうか。インベストメントバンクをひと言で言えば、産業金融の担い手ということになります。それはお金を産業に変える、紙を実物に変える力を持った銀行という意味で、お金の世界と同時に産業の世界のことも精通していて、中長期的な産業発展とそれを通じた国家の発展のために、お金を動かしている銀行という意味です。日本で言えばかつての日本興業銀行が典型的なインベストメントバンクです。具体的には独自に資金を一般から集めて、それを長期で安定的に貸し付け、中長期的な産業と国家の発展を担うという銀行です。普通の商業銀行は元本保証で預金を集めて、それをせいぜい1年ぐらいを満期として一般の企業へ主に運転資金の目的で融資しています。ですから普通の商業銀行をいくら大きくしても、中長期的な産業育成資金は調達できません。では一方で、市場を使った株式、社債による資金調達はどうかというと、こちらは市場が持つ非常に不安定な値動きと、大量の資金を持ちながら、腐敗した一部の投資家が恣意的に市場を操作するために、とても善意の人々が考える多額の資金の安定的調達は不可能です。これからの時代に本当に競争力のある産業を育成し、新しい国を創ろうとしたら、たとえば1千億円の資金を固定金利で10年間貸し付けるといったぐらいのことができなければだめなのです。昔の日本はそういう大胆な資金調達を日本興業銀行のような長期信用銀行や、政府系金融機関、あるいは財政が直接担っていました。しかし平成の構造改革でこうした中長期の金融システムが壊されてしまったため、日本はこれから新しい国創りを進めるための新たなインベストメントバンクを、設立しなければならないのです。

8. 日本に資金はあるのか

では、そういう新しいインベストメントバンクを設立して、それで調達できる資金は今の日本にあるのでしょうか。恐らく今の政府はそう遠くない時期に完全に財政が行き詰まり、現在の緊縮財政を維持できなくなって、膨大な財政赤字をまかなうために、日銀に膨大な紙幣を発行させざるを得なくなると思います。一方で国民は銀行預金、株式、債券という形で膨大な資産を保有していますから、簡単に考えたらこの国民資産を財政赤字に充当すれば問題は解決するように思えます。ところがそうはいきません。今のような改革を進めていくと国民の生活はますます疲弊し、国民は自分の身を守るために決してお金を今の政府に渡そうとせず、結局お金は投資先がないままにインフレで価値が減っていってしまうだけです。日本がこれから新しい国創りを行うにあたって、それに使える資金は多くの国民がそれぞれ自ら蓄える形で持っていま す。しかしそれを政府が権力を使って取り上げようとしたり、市場が欲望の誘惑を使って取り上げようとしても、日本では決して成功することはないでしょう。お金を持っている特に高齢者の人たちが、自分たちの未来のためにお金を出そうと本気で思うような国創りが始まるまでは、びた一文たりとも、積極的な投資に資金が出てくることはないでしょう。しかし高齢者の人たちもインフレが来ればお金の価値がなくなってしまうことを、戦後の混乱期の経験を通じて痛いほどわかっています。お金は所詮、紙であり、紙は実物に換えなければ我々は生きていくことができないのです。ですから今までのようにデフレの時代であればとにかく現金で置いておけばお金は目減りしないし、一番安全確実だったわけですが、インフレが始まった今、お金は黙って置いておけばインフレ分だけ必ず目減りしますから、お金は運用するか使わなければならなくなります。ところが運用のほうは市場が非常に不安定に動く時代ですから、長期安定的に運用で資金を増やしていくということは、ほとんど絶望的です。そう考えると、今の時代、お金は積極的に使うしかありません。恐らく高齢者の人たちがこれからの時代にお金を使うとしたら、まず第1の目的は健康を保ちながら楽しく長生きするためであり、第2の目的は次の世代を育てるためだと思います。これは驚くべきことにいずれもロハスの価値観、すなわち、健康と持続可能性に見事に合致しているのです。ですから現役の世代が誠実にロハスの価値観を守って、「偉大なる」共生の本当の意味を噛み締めながら仕事を進めていけば、必ずや多くの資金がそこに集まってくるはずです。

9. 旧体制との衝突

実はこれから日本が国を挙げて「グレイト・コラボレーション=偉大なる共生」社会の建設を始めた場合、20世紀の旧体制、すなわち財政システムや市場経済システムを担っている人たちと真っ向から衝突して激しい戦いの場になると想定されるのが、この新しいインベストメントバンクです。旧体制にしてみたら、ここで全く違う価値観の国創りに巨額のお金が吸い取られてしまったら、それだけで旧体制は終わりです。「グレイト・コラボレーション=偉大なる共生」社会において戦いということはありません。しかし、旧体制から離脱する最初のところでは、まさにロケットの打ち上げのごとく、引力に逆らって宇宙空間に脱出するために、巨大なエネルギーと周到な準備と的確な運営が必要になるのです。だからそこで戦いが起きるのです。まるで植民地独立運動みたいなものですが、実はこの戦いにもちゃんとやり方というものがあるのです。すなわち旧体制は力と虚偽を駆使して戦いを挑んでくるのに対して、こちら側は健康と持続可能性という価値観をしっかり守って戦わなければならないということです。相手はルールなしにどんなやり方でもして相手を倒そうと襲いかかってくるのに対して、こちら側は自分たちで守ると決めた価値観をしっかり守り、戦い、勝たなければならないのです。そんなことは不可能だと思われるかもしれませんが、決して不可能なことではありません。いやむしろ、戦いというのは往々にして敗軍のほう がルール破りの何でもありの戦いを繰り広げ、勝軍のほうが最初から整然とした戦いを繰り広げるものです。戦いの結果として平和と安定が来て、戦いが終われば敵も味方もなく、みんな同じ仲間として新しい国創りに共に参加し、国民がこぞって共生していくためには、たとえどんなに状況が不利であっても、決して価値観を揺るがせにしてはいけないのです。具体的には情報公開を徹底し、戦いをできるだけ長引かせ、そして戦いをとおして多くの人にその意味と新しい時代の必要性を認識してもらい、多くの人々の静かなる支持を磐石のものにしていくというやり方です。幸いにもシンクタンク藤原事務所の園山英明氏が、過去十五年間にわたって財政システムと市場経済システムの両方の本質について最先端の研究を積み重ねておられるので、旧体制の金融システムの姿についてはその本質が既に見えています (園山論文)。 ですから、あと必要なのは、新しいインベストメントバンクを担える人材です。高度の実力があって、価値観を揺るがせにすることなく、新しい日本の国創りの基礎を固めることができる人、そういう人は必ずや今の日本から出てくると思います。

10. アーティストが活躍するとき

そして「グレイト・コラボレーション=偉大なる共生」社会の先頭で人々に元気を与えていく中心的役割を担うのは、アーティスト(芸術家)だと思います。今までの時代、人々を動かす中心的役割は政治家、学者あるいはマスコミが担ってきました。しかし「グレイト・コラボレーション=偉大なる共生」社会においては、政治家は原理原則を述べることと、後ろに回って細かな調整をすることが仕事ですし、理性が相対化されている世界では、学者の理詰めの話は決して人々を動かしません。またマスコミの情報は無数のネットワーク情報のなかに埋もれてしまい、決して人々を動かす力とはなりえないと思います。これからはアーティストが人々を動かす時代です。具体的には未来の姿を予感させるような絵や写真や映画であったり、みんなの気持ちを動かす文章や歌や演劇であったり、ロハスなデザインであったり、ロハスなスタイルであったりするのですが(たとえばインターネット書店のwww.amazon.co.jpなどで、ロハスというキーワードで検索してみてください。本以外に音楽や映画が出てきます)、注意したいのはいづれも政治的目的に沿ったプロパガンダではなくて、ごく自然にそれぞれのアーティストが、自分の感性をほとばしるような情熱で人々に表現していくなかで、結果的に人々が動いていくということです。感性の世界というのは現実の世界から見れば相当デフォルメされた世界です。そのデフォルメというものが芸術家の仕事であり、人々の心を捉える力となるのではないでしょうか。もう既に現代のアーティストはロハスな生き方に相当大きな接点を持っています。もう既に今までのロハスの発展のなかで、アーティストが多大な貢献をしてきました。したがって引き続きこれから先の時代にも、アーティストが世の中の最先端を切り開く重要な担い手となっていくのではないでしょうか。

第7章 黄金の21世紀

10年後の日本のビジョン

こうして日本は10年もすると、「グレイト・コラボレーション=偉大なる共生」社 会というものが目に見える形でその全貌をはっきりと現してくるだろうと思います。 そのなかで旧体制にいる人たちも次第に新しい時代の良さに気づき、新しい国創りに 参加していくことでしょう。また依然として戦乱に明け暮れる国々でも、この先の新 しい国創りの目標として、日本の新しい姿を見学しに、まさに光を観る観光客として、 大挙して日本を訪れるようになるでしょう。日本はロハスな生活の見本であり、ロハ スな産業の見本であり、芸術家が競って創作を行う場であり、観光と農業の国であり、 同時に最も高度化された製造業の中心国となっているでしょう。国土は大掃除が終わ ってすっかり美しくなり、またどんな山奥に行っても人が安全に暮らすことができる インフラが整っていることでしょう。各空港や港からは道路や鉄道が整然と日本各地 をつなぎ、景観に配慮された町並みは非常に個性的で美しい姿を内外の観光客に見せ てくれることでしょう。地域によってはたくさんの外国人が住んでいるかもしれませ ん。また通貨も国の共通通貨以外に、まったく独自の企業通貨、地域通貨、ネットワ ーク通貨が並列的に使われているかもしれません。違いが強さになるという言葉その ままに、ありとあらゆる環境変化に対して、日本は大いなる多様性を生かしなら、柔 軟に対応していくことでしょう。こうして日本と日本人は「グレイト・コラボレーシ ョン=偉大なる共生」社会の創造をとおして大きな成功体験と自信を手にし、それが 誇りとなると同時に、人間として価値観が大きく飛躍したことに気づくことでしょう。 それはまさに黄金の21世紀の到来と言うべき姿であり、日本で生まれたこの新しい 社会の姿が世界に広がっていき、世界全体がやがて黄金の21世紀を迎え、結果的に 人類全体が飛躍的に価値観を向上させることができるのだと思います。この偉大なる 国創りはもう既に目に見えないところで、日本人の気持ちのなかで、静かに始まりつ つあります。それをさらに発展させてすばらしい日本を創ることが、今を生きる我々 日本人の、重要な役割なのです。

2005年9月24日 藤原直哉 拝

2011-08-27

藤原直哉


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